空想日誌(4) 雪の詩

雨を知らないという人はいませんが、雪を見たことや触ったことが無いという人は沢山います。そのため、「寒くて暗くて辛くて悲しい」という固定観念を伝えるのに、雪は恰好の材料です。そのような雪の詩の中で、中原中也の歌集「山羊の歌」に含まれている「生ひ立ちの歌」が、私は好きです。以下はその一節です。

    幼年時 私の上に降る雪は 真綿のやうでありました
    少年時 私の上に降る雪は 霙のやうでありました
    十七−十九 私の上に降る雪は 霰のやうに散りました
    二十−二十二 私の上に降る雪は 雹であるかと思はれた
    二十三 私の上に降る雪は ひどい吹雪とみえました
    二十四 私の上に降る雪は いとしめやかになりました……

万葉集を初めとして多くの詩歌が、淡雪、白雪、大雪、初雪など、雪を景色の一素材として扱っていますが、この歌は「雪粒子のタイプと物理的性質」を実に効果的に使っています。これだけの降雪粒子のタイプを経験できる場所は、北海道よりも南の日本海沿岸のはずです。山口生まれの中原ですが、幼少時に2年ほど金沢に住んでいたそうですので、その時の体験が残っていたのかも知れません。

太宰治が彼の著書「津軽」で引用した東奥年鑑には、降雪タイプとして「こな雪、つぶ雪、わた雪、みづ雪」の4種類、積雪タイプとしてこの4種類に「かた雪、ざらめ雪、こほり雪」の3つを加えた7種類が記載されています。これらのうち、「ざらめ雪」は今も正式な分類名として使われています。これらの分類表現は実体感そのもので、吹きすさぶ雪の中、雪原を踏みしめて歩く人が目に浮かぶようです。中原は太宰とも親交があったようですので、「ひどい吹雪」の様子などは彼から教わったのかも知れません。

ちなみに、金沢の近くの加賀市で生まれ育った中谷宇吉郎が、北大で雪の研究を本格的に開始したのは1932年(昭和7年)で、世界で初めて人工雪の製作に成功したのは1936年(昭和11年)、「山羊の歌」が出版されたのはその丁度中間の1934年です。岡田武松の名著「雨」が1916年(大正5年)に、中谷も参考にした加納一郎のこれも名著「氷と雪」が1929年(昭和4年)に出版されていますので、中原がこれらの本を読んでいた可能性は十分にあります。

参考
雪と氷の事典(日本雪氷学会監修、朝倉書店)
雨(岡田武松著、丸善、東京堂書店、光風館書店)
氷と雪(加納一郎著、梓書房)

次回の話題は、「雨の歌」です。

2011年7月31日